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5章 涼宮ハルヒの記憶
いつの間にか眠りについていた。
目を覚ますと夜中の1時を少し過ぎたあたりだった。窓が半分開いていて、冷たい風に体は冷え切ってしまった。
「うぅ、さみぃ」
窓を閉めようとベッドから降りると、窓の外には灰色の空が広がっていた。普段とは違う色の空に不安と、何故か期待が胸に浮かんだ。
そして足元には寝袋がふくらみを持たせて落ちていた。まさかと思い寝袋の隙間から覗く黒髪をずらすと、そこには涼宮の顔があった。なぜ涼宮がいるんだ。
「起きてるか?」
まだ目覚ましのなるような時間ではないが。
「んん……」
「起きてくれ」
夜更かしは美容の敵って言うからな。その端整な顔立ちに毒を塗るような真似をしたいわけではないが記憶喪失の俺にはこの空は非常事態に見える。
「起きるんだ」
優しく肩を揺すってみると涼宮はゆっくりと目を開いて、そして、固まった。
「やっと起きたか」
たっぷりとした一秒ほどの時間を置いて涼宮は顔を紅潮させながら硬直を解いた。
「アンタなにやってるのよっ!夜這いなら夜這いらしくロマンティックに乙女心を掴むセリフの一つでも吐きながらやりなさいよ!」
訳のわからんことを口走ってないで窓を見てみろ。俺の体がこの空は異常だと信号を発信しているが、涼宮にはごく普通の光景なのか。
「窓の外を見てくれ」
指差しながら言う。涼宮は窓の外に視線をやっているが何も言葉を発しない。寝起きのくせに凛々しい顔立ちで窓の外を眺める涼宮に見入っていると、涼宮の視線がこっちへ向いた。
「私たちのほかには誰もいなかった?」
「誰も見てないが、どうした?」
「なんとなくよ」
そう言えば物音一つしない上に人どころか生物がいる気配すらしない。
「とりあえず病室を出てみましょう。外にでれば誰かに会うかも知れないわ」
「あんまり驚かないんだな」
口には出したものの、涼宮の表情からは異常事態であることは読み取れた。異常事態である上で涼宮は驚いていないのだ。
「驚いてるわよ。特にあんたのしゃべるセリフにね」
俺としてはできるだけ冷静に分析しているつもりだったんだがな。やっぱり戸惑いは隠せないってやつか。なんだか気味の悪いところだしな。
「とにかくここから出るわよ」
そう言った涼宮の目は俺の目を捉えていたが、次第に横にずれていき、俺の後方へとやった。つられて俺が後ろを振り向く前に
---ズドンッ
すごい地響きがした。病棟が激しく振動する。体感で震度5以上の揺れを観測して思わず涼宮を庇うように覆いかぶさった。
首だけ外を向けると、どこかで見たような青い巨人がこっちへ向かってきている。その後ろに浮かぶ灰色の空。それにさえ見覚えがあった。
青白く光る人型の巨大物質は幼稚な動きで病院の周辺にある建物を次々と破壊していく。この光景、このシチュエーション、俺とハルヒ。何故だか懐かしく心地良かった。
「なあ涼宮、あいつは危険だと思うか?何故だか俺には悪いやつには見えないんだが」
涼宮は何も言わなかったが目は光り輝いていた。
ふと、巨人が病室に顔を向けた。
決して早くはない足取りで、だけど一歩一歩確実に病室へ向かってくる。
俺はこう思った。
巨人が町を破壊する世界とはどんなんだろう。――楽しそう、と。
そのときの俺はどんな顔をしていたんだろうか。きっと初めて遊園地に連れて行ってもらった子供のように、さっきの涼宮のように目を輝かせていたのではないか。ドキドキとワクワクを感じて巨人に見入っていると涼宮が俺の手首を掴んだ。そして、廊下を駆け出す。
「なんだあいつは。俺の知らないところで実は超文明が発達していたのか?宇宙人が襲来してきたのか?それとも古代の超兵器が蘇ったとか?」
地球防衛軍の出動について問いただそうとしたときに涼宮が俺に飛びついてきた。直後。
---ズドンッ
---ガシャーンッ
病院の窓ガラスが飛び散った。巨人が廊下に向けて破壊活動を行ったようだ。
「急ぐわよ」
涼宮が慌てたように言う。廊下に転げまわっていた俺は涼宮に手を握られて起こされ、共に走り出した。汗ばんでいる手は俺のか、ハルヒのか。
全力疾走を強いるハルヒについて廊下を駆け抜けると病院の前の緑地にたどり着いた。昨日朝比奈さんと良くわからない会話をした場所だ。
「待ってくれ涼宮。あの巨大なのはなんなんだ?あいつは俺たちと遊びたがってるようなはしゃいでいるような、そんな気がするんだが」
涼宮は徐々に速度を緩め、そして数歩歩いて歩みを止めて俺に向き直った。
「あんた、元の世界に帰りたくない?」
元の世界と言われても俺にはこの世界が唯一無二の世界なんだ、他に世界は知らない。
「あんな巨人とじゃれあってたら死ぬわよ?」
なんとかなるような気がする。特にお前とならな。
「またこの場所にきてわかったわ。あたしは帰りたい。あんたとここで暮らすのが嫌なわけじゃあないけど、みくるちゃんや有希や古泉君と、それにあんたを含め
またいっぱい遊びたい。あたしはSOS団のみんながいる中のあんたが好きなんだって」
意味がよくわからない。
「わかんなくてもいいわよ」
巨人が病院の破壊活動をやめてこっちに顔を向けた。
「キョン。あたしは記憶をなくしてからのあんたと数日間接してきたけどあんたにとってのあたしは涼宮であってハルヒじゃあないの」
巨人が一歩づつ近づいてくる音がする。俺は涼宮の瞳に吸い寄せられて離れない。
「でも元の世界に帰れたらあんたはあたしをハルヒって呼んでくれる気がする。確信はないけど自信はあるわ」
巨人がまた一歩近づいてくる。合わせて涼宮も一歩俺に寄った。
「あたしはこの世界から脱出する方法を一つしか知らない」
また一歩近づいてきた。もう俺にはどうすることもできない。このまま全てを涼宮に委ねていい気がする。涼宮になら全てを委ねられる。
「キョン。元の世界に帰れたらちゃんとハルヒって呼びなさい」
何を言ってるんだ、と言おうと声を上げかけた俺の眼前に涼宮の顔が迫ってくる。そして半ば無理やり口を合わせられた。
こういうときはハルヒの引き締まった体を優しく抱いてやれればいいのだろうが俺にはそんな器量はなかった。だから目を閉じて全てをハルヒに委ねることにしよう。ハルヒがどんな顔をしているのかは目を閉じているから見ることはできない。視覚が絶たれているので唇にかかる柔らかくて心地の良い負荷に、ハルヒの唇の感触に神経を集中させよう。あのときのハルヒはこんな気持ちだったのかは定かではないが、いつのまにか俺は記憶を取り戻していた。
世界の改変が始まったのだろう。いや、世界が元に戻ろうとしていると言ったほうがいいのか。物理法則が乱れてきて、不意に無重力化に置かれた。名残惜しいハルヒの唇をそっと引き離し、ハルヒの後頭部で一束の髪を掴む。
音も視界も混沌としているこの世界で俺はハルヒにだけ聞こえるように言った。
「やっぱりハルヒはポニーテールが似合ってるな」
目覚めはいつかのようにベッドから落ちた直後だった。ただし、今回は自室ではなく病室で。
記憶喪失中の記憶と記憶喪失前の記憶がメディアミックス的コラボレーションを繰り広げて、思考能力が復活するまでに少々の時間を要した。
思考回路が正常の緑ランプを灯すと、目の前で目をパチクリさせて顔を紅潮させているミノムシと目が合った。
「おはよう、ハルヒ」
ハルヒが口をパクパクさせながら何か言葉を探している。
「言っとくが、夜這いじゃないぞ。夜這いするならロマンティックな言葉の一つや二つ用意してからするからな」
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