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1章
冷たい風が吹き抜ける。
部屋にある全ての布製製品が風になびく優しい音が聞こえる。
ここはどこなんだ。目を開くと真っ白な天井が見えた。シミ一つない天井が。
体を起き上がらせて周囲を見渡す。風の吹いてくる方へ首を曲げると、揺れる白のカーテンの隙間から覗く開いた窓からは緑色の山が見える。そう大きな山には見えない。反対側へ目をやると白いドアには曇り硝子が添付していて、この室内は白いモノで覆いつくされている。手元に目を落としてみても見える色はやはり白。眩いばかりの白さを誇る布団の上に俺はいた。心なしか俺の手のひらでさえも白く見えてしまう。
------、ズキッ
鈍い痛みが頭に響く。そういえばここはどこなんだろう。自宅でないことは明白だし知人の家にも心当たりがない。そもそも人が『住んでいる』ような雰囲気ではない。そう、ホテルとか病院のような------
頭痛を堪えて考えを巡らせていると、ふと目に入ったモノがある。ボタン一つでまるで使用人のように世話係が飛んでくるモノ、それはおそらくナースコール。
一瞬ナース姿の女性を妄想したりもするが、その女性が嫌に見覚えがあったりしないし、なぜ俺が病院にお世話になっているのかわからない。
------、ズキッ
そもそも俺が誰なのかさえ認識できていないことに気付いてしまった。
気付いた刹那に俺にはコトの重大さは認識できなかった。指先が震え、腕を経由して全身にまで寒気を伴ってまるで痙攣のように震えて初めて自分が恐怖していることに気がついた。値の張りそうなこの個室の病室さえも俺をあざ笑っているかのように感じる。いつの間にか止んでしまった優しい音のそよ風は静寂に変わって耳鳴りを覚えた。真っ白なこの部屋に無音で俺一人。
---俺はいったい誰なんだ。
ガクガクと震える体を押さえつけるように自らを抱きしめた。ちっとも安らぎなんかしない。何にも思い出せない。得体の知れない恐怖が全身を襲って呼吸をするのも苦しくなる。何故俺はこんなところにいるのだろう。俺は何をしているのだろう。俺は、何をしたのだろう、……過去の俺は。
------コン、コン
軽いノックの音が静寂を破った。苦しいほどに自分一人しかいない現実を体感していたため、自然と返事をしてしまう。
「どうぞ」
震える声で精一杯の返事をする。と、ドアの向こうからは慌てたような驚いたような可愛らしい声聞こえ、ガチャガチャと乱雑にドアが開かれた。
開いたドアから姿を現したのはさっきナース姿を思い浮かべたときのモデルになった人にソックリな可愛らしい女性と、その数歩後ろに立った背の高いスマイルが特徴的な、ハンサムに属されるような男性だった。
偉く幼く見える女性は驚きの表情をしていて、軽めのウェーブのかかった前髪の下、両手をかざした口元との間から子犬のような瞳を覗かせ、その瞳には溢れんばかりの涙を浮かべていた。
爽やかなスポーツマンのような男性も同様に驚いたような表情をしていたが、こちらはスマイルを崩さない。もしかしたらスマイル自体張り付いてしまっているのかも知れない。お似合いのカップルに見える二人ともが見覚えのある制服を着ていたが、どこの制服だかはわからなかった。
「キョンくん。よかった、目を覚ましたんだ」
入り口付近で飼い主を待ち続けた忠犬チワワのごとき瞳に安堵の表情を織り交ぜて可愛らしい女性はその場にへたり込んでしまった。
……キョン、それは俺のことか?
俺の状態を察したのかニヤけた表情の男が少し渋い顔にフェイスチェンジして手を顎に添えて、やがて思案顔に変化した。
この男に問いてみる。
「キョンとは、もしかして俺のことか?」
男はやっぱり、といった表情になった。少し考えてから男が答えをくれる。
「ええ。あなたは紛れもなくキョンと呼ばれる男性です。僕は古泉一樹。彼女は---」
へたり込んで、会話に違和感を覚えたのか恐怖に満ちた怯え顔の女性を指差し、
「朝比奈みくるさんです」
名乗った。
聞き覚えはないとは言えない。だが俺の記憶のどの部分ともリンクしない。
と、古泉と名乗る男が近づいてきて、枕元にあるナースボタンを押してから付け加えた。
「あなたのベッドの向こう側で寝袋に包まれているのが涼宮さん、涼宮ハルヒさんです」
ベッドの下に目をやると確かにそこには寝袋があった。涼宮と呼ばれる女性は俺とは反対側を向いて寝ていて、綺麗な黒髪だけが俺を見ていた。
俺は男のほうへ向き、とりあえず聞いておきたいことを聞くことにした。
「それで、ええと…」
俺が何と呼んだらいいのか思案していると、
「古泉で結構ですよ」
とのことだ。
「そうか。それで俺と古泉、キミや朝比奈さん、涼宮さんとはどんな関係なんだ?」
「同じ部活の仲間ですよ」
自分の事をもっと聞きたいが聞けない。記憶がないから。
聞きたいことはたくさんあるのに聞けない。記憶がないから。
聞きたいことがなんなのかわからない。記憶がないから。
何もないところには疑問はそう多くは生まれない。それに、真っ青な顔をした朝比奈さんを見ているとこれ以上質問するのも憚れた。
いつの間にか止まっていた体が、また、震えだした。